◇ 療養エッセイ ◇
   酸素大量セット&娘2人と
       豪華客船《飛鳥》の船旅!
<博多港〜境港〜佐渡島〜屋久島〜博多港>
熊本市  竹下多美子
【竹下さんのご紹介】竹下さんは熊本市在住の会員さんで未だお会いする機会はありませんが、メーリングリスト「あのね会」で交歓している間柄です。
この手記は、酸素をしっかり準備され、娘さんと5泊6日の船旅をされた時の旅行記です。送って下さったメールと写真、それに日記風に綴って精しい情報を補って貰いました。旅への夢、気力など参考になれば幸いです。
                   《文責、楢崎》
旅行好きな私が、結核後遺症で酸素を使用し始めて15年になります。
主人が存命中はよく新聞の折り込みに旅行案内がありますと『お前の好きな旅行の折り込みだ』と言って取り出してくれました。その中から行く先を選んでは楽しんで居りました。未だ、酸素が要らない時でした。
酸素は現在、屋内で1〜1.5リットルとなり、外出時の歩行が最も苦手で、2〜3リットル使用します。近くの旅行は愛車を運転しますが、必ず一本予備を入れております。酸素を使用するようになり、始めは飛行機を利用しましたが、酸素の手続きが面倒な事と、上空での圧力に体がついて行けず、船旅に変えまして、楽になりました。
10月7日「あのね」へのメール
『曾孫が若さを呉れたのでしょう。このところ体調が良く元気です。
実は、三日後の10日から娘2人と博多港発着の日本の豪華船『飛鳥』で、佐渡〜屋久島5泊6日のクルーズに行きます。酸素や車椅子の手配で大変でしたが、これが最後と思い頑張って行くことにしました。写真とお土産話の花を咲かせようと思っていますが、どうなりますか。』
10月10日(月)博多港を出航
博多港を10日17時に出航。その前にセレモニーとして福岡市消防音楽隊の演奏があり盛大にテープを投げました。19時から船内での初の食事でしたが、服装はインフォーマルドレスでお洒落して夕食をとりました。

私たち親子3人の年齢は、私が77歳、長女57歳、次女55歳で合計189歳となります。同船のお客さんの中には杖、車椅子の方はいましたが、酸素を携帯持参したのは私だけでした。
問題の酸素の設置ですが、5泊6日の観光と、船内の食事や催し事などのためキャビンにハイ酸素をセットし、ボンベMを6本、Lを1本いれました。
これで十分と思いましたが、熊本で使用しているボンベMより、旅行先でのMは5リットル少ないので、計算して用意していきました。いつもの旅のようにニップも準備いたしました。酸素の事では行く前から草臥れてしまいます。
「あのね会」のメル友がお尋ねの船外リフトは、残念ながらありませんでした。レセプションは5階でありました。5階〜10階がパノラマデッキでした。
上り下りはエレベーターが何基もついており車椅子も問題ないです。心配になります医療面では医師1人、看護師1人が乗船してありました。
10月11日(火) 境港に入港
鳥取県の境港には11日午前7時頃に到着しました。観光コースは4コースありましたが最も楽な松江城、小泉八雲記念館、同旧居、玉造温泉のコースをとりました。城に上る娘達とは別途、お堀を舟で廻り、船頭さんの美声の唄を聞いて長閑な気分でした。15時頃、渡し船で『飛鳥』に帰りました。
本日の酸素は、朝7時から15時までの使用量が、バスでは1リットル、観光中の車椅子では1.5リットル位で、時々歩く時は2リットルでした。酸素の使用時間はセーバー使用で8時間余り。1.5リットル使用で6時間ですから1本に20リットル入りのテイジンさんから直接送って戴いたのを使用するとギリギリで、1本プラス0.5リットルで済みました。
『飛鳥』のタラップは3リットルにして自力で上がりました。しかし、上がり終わると息切れで一歩も前に進めず、娘2人に抱えるようにして、邪魔になる通路から外して貰いました。街では「水木しげる」のゲゲゲの鬼太郎≠ェ歓迎してくれましたが、こんなに無理してまでも行く自分の気持ちが解りません?!
10月12日 (水) 佐渡島二見港に入港
佐渡島二見港には12日の朝9時に着きました。観光は3コースあり、親子3人は「砂金採りと温泉」のCコースを選びました。二見港からテンダーボートに乗り佐渡西三井ゴールドパークへ行き砂金採り≠フ体験をしましたが、うまく出来ませんでした。八幡温泉で昼食、佐渡歴史資料館を見学し『飛鳥』へ帰船しました。
15時、二見港を出航、一路、南の屋久島へと向かいました。
10月13日(木) 佐渡〜屋久島間の船旅
13日は終日の航海でした。船長主催のパーティがあり1日ゆっくりしましたが、キャビンの中で静かにしている訳ではないのです。朝の散歩は船の周囲だけでも200m以上あり、私は半分程しか歩けませんでした。食事が三回のほかに夜食があり、コーヒータイムはいつでもOKでした。夕食後はショウや、ダンスタイム、映画音楽、マジックショウと退屈なしですが、そこは健常者のようには楽しめず残念な気持ちでした。
酸素の確保は一番大事です。私は勿論ニップも用意し、酸素ボンベは船内5日で5本、外出時用に3本計8本を準備しました。テイジンさんと何度も話し合いまして、充分足りると計算しました。(※熊本のテイジンから送りましたのは20リットル入りですが、他所で用意すると同じMでも15リットルしか入っていませんのでご注意下さい。) 
船には車椅子が備えてあり2千円で借りられますが、今度の旅では自分で借りて行きました。5日間で2千円です。
10月14日(金) 屋久島の宮之浦港に入港
屋久島には14日11時30分に到着しました。ここの観光は4コースあり、私が行けるのはBコースの大川の滝、ポタニカルリサーチパークで、全て車椅子で無理のない観光が出来ました。バスは歩かないでいいように駐車してくれました。リサーチパークは熱帯植物が沢山あり、珍しい果物もありました。
10月15日(土) 博多港に帰港
屋久島を14日15時頃に出航して翌朝の9時頃、博多港に着きました。直ぐJR博多駅に行き「特急つばめ」で無事に熊本に帰り、ホッとしました。
行く前は、旅行それ自体が大丈夫かなぁと不安でしたが、旅の間は楽しさを十分に感じ、食事が美味しかったりしたので、疲れは忘れていました。
帰宅してどっと疲れが出ましたが、それは当然のことと思います。しかし、もし旅行されますなら、私は船旅をお奨め致します。行き先の選択はもちろん自由ですが、私の体験では前回の【飛鳥・・竿灯ねぶた祭クルーズ】の方が、内容的には今回よりも良かったと思います。
ここで『飛鳥』の能力、規模をお知らせしておきます。『飛鳥』の規模は、全長192.8m、全幅24.7m、総トン数28.856c/t、乗組員270 名、客室数296室、乗客数 592名、航海速力最高 21ノット。
ところが、この『飛鳥』は2005年で身売りされるそうで今回が最後の航海だったようです。代って2006年からは『飛鳥2』が就航するそうです。これまでの二倍の大きさだそうですから、また、元気を保持して、生まれ代わった『飛鳥2』で旅をしたいと欲が出て来ました。
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